有名人と社会問題のお話 〜芸能ニュースから学ぶこと

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【親の離婚と日本語】すみれのトラウマ

すみれさん


言わずと知れた石田純一さんの娘さんですね




その彼女は
日本で芸能界デビューして3年以上...
一見、順風満帆そうに見えるのですが、
彼女にもそれなりの苦労があります!


そのことは
後半に書くことにしまして、




すみれさんは
“楽しさ”を伝えることが、根っから好きだという。両親譲りなのかもしれませんね。

(^∇^)



幼い頃から様々ななダンスを習い、中学生になると歌や演劇のレッスンも受けていました。


高校のときには、
高齢者向けの施設などを訪問し、芝居や歌、ダンスを披露したこともあるそうです。




不思議な存在感があり、バラエティー番組などにも引っ張りだこの彼女ですが、本人曰く、「舞台に立つのが私の運命だったのかもしれない」と感じていて、芝居のお仕事が大好きみたいですね。




そんな彼女のトラウマとは...

「両親が離婚したとき、パパラッチに追いかけられました。」


そのことがトラウマになっていて、

「見知らぬ人からの視線を極度に怖がっていた時期もあった」
そうです。


普通、マスコミに追いかけられるのって怖いしトラウマになって当然ですよね!





「歌やダンスやお芝居を通して、何かしらの意味や感情を伝えられるじゃないですか。メッセージっていうほど大げさじゃなくても、ただ『キレイ』って思ってもらえるだけでもいい。私たちが発信したものを見たことで、その人の一日が明るくなったりとか。表現を通して、誰かとつながったりできることが、幸せなんです」


素直で素敵な考え方ですね

( ´ ▽ ` )ノ




 母松原千明さんと共に、ハワイへ移住したのはすみれさんが7歳のとき。

両親が正式に離婚したのはそれから2年後のことでした。ハワイに行ったばかりの頃は英語がしゃべれず苦労しましたが、いつしか日本語より英語のほうが得意になっていました。



結果、
そのことが、日本で芸能活動を開始したことにより、また言葉の壁にぶち当たってしまいました。


「ハワイに住んでいるときも、日本には年に2回のペースで帰ってきていました。ハワイには、豊かな自然はあるけれど、キラキラしたシティーライフはなかったので、そこに憧れてもいたし(笑)。母が京都出身なこともあって、歴史にも興味がありました。ハワイで時代劇のドラマを字幕で見たり、日本に帰るたびに、J‐POPのCDを大量に買い込んだりして、やっぱり日本の文化が好きだったんだと思います。日本でお仕事をするようになって、一番苦労したのは日本語でした。日本に来て3年で、ようやくある程度までしゃべれるようになりましたけど、そうしたら今度は、思うように英語が出てこなかったり……(苦笑)。それは、帰国子女とかインターナショナルな経歴を持つ人なら誰でも経験することだと思います。日本語と英語、両方をキープするのは難しいけれど、それが私のアイデンティティーにつながっている部分もあるので、ほどよいミックス感を探っていけたら」



前向きで、笑顔の素敵な彼女を
これからも温かく見守っていきましょう!


( ´ ▽ ` )ノ

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