「反日」文在寅 (ムンジェイン) 大統領はどんな人物?
韓国の第19代大統領であるムン・ジェイン (문재인・1953年1月24日生まれ) は「北朝鮮からの避難民の子」として生まれ育ったこともあってか、北朝鮮に対する思い入れが強い傾向にあるようです。弁護士として市民運動や人権運動に関わったのち、盧武鉉 (ノ・ムヒョン) 政権 (2003〜2008年) で側近として活躍。ちなみに盧武鉉は歴代韓国大統領で最初の「日本統治時代を経験していない世代」の大統領だと言われています。
盧武鉉の影響を大きく受けて大統領になったムンさんは、どうして強い「反日」感情を持つようになってしまったのでしょうか?そして何より、弁護士として活躍していたにも関わらず、なぜ彼は法律よりも条約よりも「反日」を上位に置いた政策を行なっているのでしょうか?
生い立ち
2012年の大統領選挙で朴槿恵 (パク・クネ) に惜敗した彼は、朴槿恵の弾劾・罷免に伴う大統領選挙 (2017年) に勝利!そんな彼は巨済 (コジェ) 島で二男三女の長男として生まれました。姉1人、本人、そして下に3人の弟妹がいます。ちなみに巨済島は韓国で済州島に次いで2番目に大きな島です。
両親と姉は朝鮮戦争中 (1950〜1953年) にアメリカの貨物船に乗って、北朝鮮から脱北し避難民となりました (祖父母は北に残ったまま)。その後、父は巨済島の捕虜収容所で労働者として働き、母は鶏卵売り。そしてムンさんの幼少期の頃に一家で釜山 (プサン) 市に転居しています。この頃の生活はとても貧しく、トウモロコシのお粥の給食が一日の食事の全て...だったようです。高校3年生の時にはソウル大学の受験に失敗し、1浪してから4年全額奨学金のあった慶煕大学の法学部へと進むこととなります (1972年に首席で合格)。
民主化運動と妻との出会い
愛妻との出会いは大学時代。彼女はムンさんの2学年後輩でした。当初は単なる先輩・後輩だったのですが、彼が朴正煕 (パク・チョンヒ・1917〜1979年) 政権に反対する民主化デモに参加した際に負傷。このとき親身になって看病してくれたのが彼女だったのです。ちなみに彼は、この民主化運動に関わった容疑で逮捕され刑務所にも収監されています。
「売国奴」と言われた朴正煕氏
1965年に「日韓基本条約」が調印されて半世紀以上が経ちました。この条約によって日韓両国の国交は正常化することになったわけですが、当時、韓国国内の世論は国交正常化に猛反対でした。それを押し切って、「売国奴」呼ばわりされながらも英断を下したのが朴大統領 (パク・クネの父) だったのです。いくら国民の反対があっても、当時の韓国は朝鮮戦争で壊滅的打撃を受けていたため超貧乏。韓国経済は最貧国の水準だったのです。これを解消し、近代化のための資金を得るためにはどうしても日本の助けが必要だったのです。
「用日」 or 「反日」?
国交正常化の立役者となったのは、朴正煕大統領の命を受けて秘密交渉にあたった金鍾泌 (キム・ジョンピル) です。中央情報部 (KCIA) の初代部長を務めた彼は、「反日より“用日”こそ困難な道である」とよく朴氏と話していたそうです。
「日本を用いて経済発展の道を!」「しかし国民は大反対」。。。2人は最貧国を脱するためにあれこれと模索します。「経済開発5カ年計画」(1962年〜)はその核になる部分なのですが、これには莫大な資金を必要となります。「やはり日本に頼らないとどうにもならない」
そもそも国民の反対は「反日」というよりもクーデターで樹立された朴政権への不満・批判だったのです。こうした国内の反発に対抗するためにも日本に助けてもらっての「経済発展」は絶対に欠かせないものだったのです。
朴正煕氏への評価は?
当初はクーデター政権だったこともあって国民の反発が強かった朴政権ですが、近年、彼への評価は高まってきています。「優れた大統領のおかげで今私たちは幸せに暮らすことができています」「強力な改革だけが韓国を維持できる」「将来、朴正煕大統領のような政治家が再び現れたらいいのに」半世紀以上を経て、彼への賞賛の声が相次いでいるのです。
一方でこんな声も。「朴正煕のリーダーシップで韓国が発展を遂げたのは事実。だからといって軍事クーデター、人権・民主化弾圧などを許すことはできない」
兵役そして弁護士へ
話をムンさんに戻しましょう。当時の韓国では、民主化運動に参加して逮捕された人物は強制入隊させられていたため、ムンさんも釈放後すぐ入隊 (2〜3
年) することに。
除隊後 (1978年)、父親が59歳の若さで急死してしまいます (心臓発作)。これを機に、悔恨の念から弁護士になることを決意した彼は1980年に大学を卒業した後、司法試験に合格。翌1981年、妻の方から「あなたは私と結婚するの、しないの?」と強くのプロポーズを受けて押されるように結婚 (その後1男1女が誕生)。一説には、裁判官になりたかったのだが運動家としての経歴が邪魔をし、第二希望の弁護士になったのだとか。
盧武鉉 (ノ・ムヒョン)政権
ムンさんは民主化直後の1988年に政界入り (国会議員になること) を求められていたようですが、この時は丁重にお断りしています。しかしながら十数年後の2003年、盧武鉉政権が発足するとこの頃から国政に関わることに。その後2007年には大統領秘書室長になるなど大統領の側近として大活躍!「盧武鉉の影法師」とも言われていました。
2008年に盧武鉉が人気を終えて退任すると、ムンさんは釜山で弁護士業を再開 (翌2009年に盧武鉉は自殺)。そしてムンさんは盧武鉉の意志を継いで政治家を全うする覚悟を決めたのです。
大統領になるまでの道のり
2012年、ムンさんは大統領選に出馬します。予備選において全国13地域の全てで1位を獲得した彼は野党系候補の一本化で擁立されることとなります。20〜40代の支持で与党セヌリ党の朴槿恵を大きく上回っていたはずなのですが、最終的には僅差で敗北...
数年の間、野党陣営の基盤を強固なものとした後、朴槿恵政権の崩壊とともに現れ第19代大統領となったのです (2017年)。
大統領として
ムンさんを擁立する与党の「共に民主党」は第1党だったのですが国会の過半数を得ていなかったため、「政権運営は野党の協力が必要」といった状態からのスタートとなります。就任演説では「必要があればワシントンにも北京にも東京にも平壌にも飛んでいく」と積極外交を宣言!そして、「働き口を作る」「財閥改革を行う」「政経癒着をなくす」と述べていました。
そしてこうも述べていました。「私たちは李明博、朴槿恵政権だけでなく、金大中、盧武鉉政権まで、去る20年間のすべてを省察し、成功の道へと向かっていきます」「盧武鉉政権を超える完全に新しい国を実現します」
(大統領) 就任から2年あまりが経ち、現実はどうなっているでしょうか?いずれもあまりうまくいっているようには思えませんね。
対ベトナム
2018年、ベトナムを訪問した彼は首脳会談の席で「韓国軍のベトナム戦争参戦と民間人虐殺に対する謝罪を表明」しました。これに対してベトナムのクエン国家主席は、「過去の痛みを治癒し、両国間の友好関係を強固なものにし、共存協力を強化するため、韓国政府がさらに努力してほしい」と応えたのです。寛大な心を持つベトナム人がこの程度の謝罪でOKとなっている一方で、日本は韓国に何度も何度も謝罪し多額のお金を渡しているにも関わらず、「もっと謝れ」「もっとお金をよこせ」と言ってくるのはなぜなのでしょうか?
2019年に不支持率UP
2019年3月、世論調査で不支持率が50%を超えてしまいました。ただし、就任から丸2年の支持率としては歴代第二位 (金大中が第一位)。この背景にはいろいろありますが、一つは「雇用が減ったこと」が挙げられます。文政権は労働者を守るという大義名分を掲げて最低賃金を上げたのですが、一方で中小零細企業がその人件費UPに耐えられず、雇用を減らしてしまったのです。結果、若者たちの失業を増やすことになりました。
大企業を敵視し、サムスン電子の副会長を有罪にするなど、財閥改革も行おうとしていたのですが、ここにきて「半導体産業を守らなくては」と慌てて「反日」を第一に政策の舵をとっています。果たしてそんなことで国民の支持は本当に高まるのでしょうか?
「南北協力」で自滅への道をまっしぐら
2019年現在、事あるごとに「反日政策」を打ち出してきた文在寅政権は破滅への道をひた走っています。「日本との対立」だけならまだしも、肝心の「経済政策」もデタラメだからです。「支持率が下がると反日政策を行い支持率Up」という過去の政権同様にもがき苦しみ始めていますが、そろそろ限界が近いようです。「日本より北朝鮮」を選び、自滅へのカウントダウンが鳴り始めました。
そんな文政権が日本に対して行なっている反日政策の一例は以下の通りです。
・レーザー照射
・慰安婦合意 (2015年) の破棄
・GSOMIAの破棄
・戦犯企業へのステッカー
・パラリンピックメダルへの難癖
などなど
挙げ句の果てに、
「北朝鮮との南北平和経済で日本に対抗する」という発言まで飛び出してきました。「日本の経済が我々の経済に比べて優位にあるのは、経済規模や内需市場である。南北の経済協力で平和経済を実現すれば、一気に追いつくことができる」と本気で考えているようです。
本当にそうでしょうか?確かに北朝鮮には豊富な地下資源が眠っていると言われていますが、「北」は食うや食わずの最貧国。ドイツが統一した以上の困難が待ち受けているのは間違いないのです。それに、そもそも北朝鮮の金正恩 (キム・ジョンウン) が統一を望むわけがありません。
日本は韓国とどう付き合えばいい?
日本には多くの韓国・北朝鮮にゆかりのある人たちが暮らしています。そして、ユンソナなどのタレントから、BoA・少女時代・東方神起・2PMなどのミュージシャン、野球・サッカー・ゴルフなどのスポーツ選手まで、多くの朝鮮半島の人々が日本を舞台に活躍し、活躍していたことを忘れてはなりません。彼らは懸命に日本語を学び、日本に馴染もうと努力してきたのです。少なからず日本人から差別を受け、屈辱感を感じたであろうにも関わらずです。
そして、日本人と思われる日本の「芸能人」「起業家」「一般人」の中にも多くの韓国・朝鮮系の方がいらっしゃいます。それらを踏まえて、私たち日本人は「反日」文政権とどう向き合い、韓国の人々とどう接していったらいいのでしょうか?
まずはじめに、私たち日本人は絶対に彼らを差別しないことです。人として尊重し、共存していくべきです。とはいえ、「反日」姿勢を前面に持ち出されたら「こちらも嫌韓になってしまう」という方も少なくないでしょう。そこはグッと堪えて、低レベルの争いにだけは参戦しないでいただきたいのです。敗戦から (戦後) ここまで日本を成長させてくれた祖先に感謝し、「世界平和」を祈り、仁 (思いやり) の心を持って他者と接していくべきなのです。それはたとえ相手が敵対心を持っていたとしてもです。
少しだけトゲのある言い方をすれば、「韓国は中国という大国と隣り合わせの半島に生きる小国」なので少しだけ気持ちが偏屈になっている面もあるのです。「中国には媚びる」「日本は絶対に許せない隣国」と位置付けるアイデンティティを持ち合わせています。文在寅の家族は親日家だとするエピソードも聞こえてきますが、幼少期から過度の反日教育を受けてきた彼らの根底にはどうしても「反日思想」が宿っているのです。こればかりはどうすることもできません。
おわりに
もしも私が韓国のリーダーだったら、、、即刻「嘘の反日教育をやめさせ」「日本と真の友好関係を築き」「Win-Winの関係を国民に説き」完全なる未来志向の生活を国民に約束するわけなのですが、内政に失敗する歴代大統領たちは国民のストレスを「反日」に向け自己防衛する傾向にあるようです。残念な事実として、韓国では「反日 =愛国」の考えがあるのです。今は徴用工問題が経済問題にすり替わり、韓国は日本にイジメられている被害者だと主張し始めています。
それにしても、「東北の食べ物は原発に汚染されているから食べられない」といったことを国際社会にアピールする国民性はあまりにもひどい気がします。「協力しよう」「助けてあげよう」という姿勢こそが人としてあるべき姿なのに。。。
こうした「日本を貶める動き」にはしっかりと反論し対応していかねばなりません。日本の皆さん!くれぐれも冷静に、熱くなりすぎませんように。バカは相手にするな、です。中には (賢い) 親日の方も多くいらっしゃいます。大人が子供を諭すがごとく、正しい姿勢で正しいことを粛々と行なってまいりましょう。「日本人は世界に誇るべき立派な民族だ」という誇りを胸に、日々笑顔で精進してまいりましょう。
生真面目すぎるとも言われている文在寅大統領。やがて、逮捕されることはあっても自殺することだけはありませんように。