「人質になってはいけない」シリアの現状
2018年秋、シリアの武装組織に拘束されていたジャーナリストの安田純平さん(44)が3年4ヶ月ぶりに解放され日本に帰国。数日後、安田さんはシリア国内へ入った手段や拘束されたときの経緯などを自ら説明。シリア難民の紹介でシリア人ガイドを紹介してもらったといいます。その人物はイスラム国に殺害された後藤健二さんのガイドをしていた人物だったそうです。
安田さんが解放された経緯として、1000万ドル(約11億円)もの身代金が要求されていたとも、カタールが肩代わりして約3億円を支払ったともされていますが、本当のところどうだったのでしょうか (日本政府は身代金の支払いを否定している)。
ちなみにカタール政府はこれまでも、シリアの反体制派武装組織に拘束された被害者 (欧米人) の救出を支援してきています。カタールは身代金の支払いを全面的に否定していますが、カタール人26人の解放と引き換えに数億ドルの身代金を渡したとして国際社会で非難されています。
一方で、2015年にジャーナリストの後藤健二さんが過激派組織「イスラム国(IS)」に首を切られ殺害されたとみられる動画が公開されると、日本国内のみならず、世界中から悲しみと怒りの声が殺到。その1週間前には、別の日本人男性、湯川遥菜さんを殺害したとISが発表していました。
数千万人が難民に...
混迷を極めるシリア情勢ですが、その犠牲者は数百万人とも言われており、さらに数千万人もの人々が難民となってしまっています。想像してみてください。わずか数年の間に、全人口の1/5にあたる2500万人もの人々が国外で難民となり、4000万人もの人々が国内避難民となる現実を。
混沌としている状況の中、国連はシリアでの死者統計をやめた (諦めた) とも言われています。そして悲しいことに、この戦争から抜け出す手掛かりが未だ見出せていないという現実。。。それほどまでに、シリアの状況は深刻なのです。
戦争をやめるという選択肢はない
シリアでの紛争が長引いている原因は、民衆革命とその正当な要求を否定する体制側の主張および血なまぐさい暴力を増大させる軍事・治安上の対応にあります。これに加えて「国際社会のためらい」も。。。体制側、過激派およびテロリスト勢力の政策、さまざまな干渉の結果生まれたこの流れは、宗派対立なども複雑に絡まって、より複雑なものへと変わっていったのです。
戦いが続く一番の理由は、人々に戦いをやめるという選択肢がないから。。。反体制派の戦闘員たちはアサド体制を打倒せんと死闘を続けています。中でもイスラム主義勢力は、戦いを進め自らのイデオロギーに基づく支配を拡大させることを狙っています。自由シリア軍を代表とする比較的世俗的な反体制派も、イスラム主義勢力と協力しつつ体制打倒に死力を尽くしています。
また、ダーイシュの戦闘員たちは、過激なイスラム主義をシリア全土に広めんとあらゆる「異端者」との戦いに従事しています。彼らはアルカーイダ組織であるヌスラ戦線とも、その他のシリア反体制派と戦うことにも遠慮はありません。さらには、シリア国家が崩壊しつつある中で、少数民族のクルド勢力は民族の自治を求めてダーイシュと戦っているのです。
一方で、アサド政権を支持しているアラウィ派の人々の間には、この戦いに負ければ民族浄化の運命が待っているとの恐怖感が支配しています。彼らは、隣のイラクでサダム・フセイン下のスンニ派のバアス党員たちが、イラク戦争後にどのような運命をたどったのかをよく知っています。
このように、それぞれがそれぞれに「戦いへの強い意志」を有している限り、いくら国際社会が政治的な解決しかないことを教え諭そうとうまくいくはずなどないのです。
シリアへの関心が不十分
長い戦いが続くもう一つの大きな原因は、残念ながら国際社会がシリアに強い関心を示していないから。。。世界は、すでに多くの問題で溢れ返っています。シリアばかりに関心を寄せていられないのです。
おわりに
世界の秩序がこれほどまでに乱れまくっている現在、私たち一人一人はいったい何ができるのでしょうか?
まず第一にやるべきことは「無関心」でいないこと。例えば、ヨルダン北部にあるザアタリ難民キャンプでは、毎日数十人の子どもたち (シリア難民) が元気な産声をあげています。また、国外へと逃げ出した多くの少年たちは父親を戦争で亡くし、母親と幼い兄弟たちを抱えて靴磨きなどをしながらたくましく生きていっているのです。こうした事実を、まずは真摯に受け止めてみてください。
そういった意味では、安田さんのような戦場ジャーナリストの存在も必要だと言わざるを得ませんが、とはいえ、けっして人質になってはいけません。ご存知の通り、人質になって解放される際に支払われる身代金は、更なる犠牲者を出してしまう元になってしまいかねないからです。
私たちは、本当の真実を見極めねばなりません。そして、世界への責任と連帯を、自らの行動で明らかにする必要があります。そうしなければ、この荒れ狂う世界に明るい未来はないのです。