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長崎を「最後の被爆地」とするために考えるべきことは何か?

原子爆弾が広島に落とされたのは月曜日の朝でした。長崎はその三日後の木曜日午前11:02。同じ時期に開発され立て続けに使用された2発の原爆が、歴史の上でひと続きの出来事として扱われることに疑問や違和感を感じる人は少ないことでしょう。

 

 

 

 

ビキニ環礁での水爆実験

 

ビキニ水着とは言うまでもなく、セパレーツ型の女性用水着のこと。。。

 

そうではなく、世界的にビキニと言えば「水爆実験」が有名で、日本では第五福竜丸が被曝したことで知られています。そのビキニ環礁は、マーシャル諸島共和国の中にあります。太平洋に浮かぶ南の島々ですから、水着の「ビキニ」はここの住民が着けている水着からイメージされたのか...と思いきや、実はそうではありません。

 

アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁第二次世界大戦後初の原爆実験を行い始めた194671日...

 

そのニュースをみたレアールは、「ビキニの核実験のように衝撃的な水着」ということから、彼が考案した水着を「ビキニ」と命名し発表したと言われています。それほどに、水爆実験の衝撃たるや、凄まじいものがあったのです。

 

 

日本ではビキニの水爆実験のことがよく知られていますが、その水爆実験が始まったのは1954年のこと。ビキニ環礁の住人は、無人島のロンゲリク環礁に強制移住させられ、飢餓にも直面しました。さらにキリ島に強制移住させられました。今もなおマーシャル諸島に住み続けています。被曝した上に、ふるさとを奪われてしまったのです。

 

 

 

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戦争と殺戮が大好きなアメリカ

 

第二次世界大戦が終了して1年も経たないうちに、アメリカは原爆実験を始めています。アメリカは第二次世界大戦中に3発の原爆をつくりました。1発は核実験に使い、1発は広島に、1発は長崎に投下...そして、アメリカは戦争が終わったのにまたすぐに次の爆弾の制作に移っていったのです。

 

マーシャル諸島の人口は少なく発言力も小さいので、彼らからの抗議の声は聞こえてきませんが、少なくとも、こうした過去の歴史を知り、今なお苦しんでいる人がいることを我々は認識しておく必要があります。

 

 

核兵器が開発され、世界は「核時代」に入りました。世界で大量の核兵器が製造されるということは、ウラン採掘から核兵器の研究・製造、 核実験の過程で放射能汚染があり、被曝が存在します。さらに、原子力発電の普及により、使用済み燃料の再処理の過程や原子力発電所の事故などで、多くの被曝が生じてきました。この放射能汚染と人間の被曝は様々な形で世界中に広がってきたのです。

 

 

 

 

核実験による被害者

核兵器保有国は、1945年に初めての核実験が行われて以降これまでに、約2,000回の核実験を行なってきました。

この被害が初めてクローズアップされたのは、1954年に太平洋のマーシャル群島、ビキニ・エニウエトク環礁で6回にわたり行われた水爆実験による被害でした。最初の実験は 「ブラボー実験」 と呼ばれ、 この実験で日本の漁船・第五福龍丸をはじめ日本の多くのマグロ漁船が被爆してしまったのです。

 

日本漁船の乗組員だけではありません。ロンゲラップ、 ウトリック、 ビキニ、 エニウエトクの住民も被曝し、健康被害とともに住み慣れた島を離れざるを得ない状況に追い込まれ、大きな打撃を受けてきました。実は、マーシャル諸島での核実験はそれ以前からも行われ、またその後も継続されています。アメリカだけではありません。太平洋ではイギリスが56年からクリスマス島で核実験を行なっていますし、 フランスは仏領ポリネシアで66年から核実験を行なってきました。非常に多くの核の被害者が生まれたのです。

 

ソ連も多くの核実験を行ってきました。カザフ共和国のセミパラチンスク実験場がよく知られています。住民に放射性降下物の危険性を知らすことなく、何度も核実験を行いました。そして、甚大な被害が出てしまっているのです。

 

中国も、ロプノールの核実験場などで核実験を行っています。中国の核実験の被害はほとんど公表されていませんが、ウイグル、 カザフ、 キルギス東トルキスタンと国境を越えて、相当な被曝による被害があると推察されています。

 

 

 

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アメリカ大統領の広島訪問

2016年5月、投下国の現職大統領として初めて、アメリカのオバマ大統領が広島を訪れました。しかし、ここで忘れてはならないことがあります。それは、「広島は核兵器の攻撃を受けた初めての被災地であることは確定した事実だが、長崎が最後の被爆地かどうかはわからない」ということ。

核兵器が地球上からなくならない限り、断言できないのです。長崎は「現時点での最後の被爆地」でしかないのです。長崎を永遠の最後の被爆地とするために、我々にいったい何ができるのでしょうか?