有名人が抱える介護問題と認知症〜人生最期の締め括り方を考える
2014年に倒産・休廃業した介護サービス事業者は、全国で175件(過去最多)
賃金水準の低い介護業界は、景気回復に伴い、他業種に人材を奪われ、以前からの人手不足が深刻化...
都市部では競争も激しく、小規模の事業者が淘汰されました...😞
2015年4月から、介護報酬が引き下げられるため、倒産件数は今後も増えるでしょう。😒
高齢者がサービスの利用先を変更しなければならない状況が懸念されます...
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【安藤優子さんの介護問題】
アナウンサーの安藤優子さん(56才)は、今年1月に最愛の母・みどりさんを亡くしてました。享年89才...
みどりさんに異変が起きたのは73才の頃。当初、認知症とは夢にも思わなかった安藤さんは、「母の認知症を受け入れるのに10年かかった」と語っています。
...母が母でなくなっていくことへの葛藤
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安藤さんの母親が施設に入ったのは6年前...その3年前にすい臓がんで父親が亡くなり、
自宅での1人暮らしは徐々に難しくなっていました。
料理が上手だった母...
なのに今では鍋を焦がしたまま...
冷蔵庫には腐った食品を溜め込み、安藤さんがよく知っている母親の姿ではなくなっていました...
出来る限りのことは頑張ってきたつもりでしたが、仕事との両立に限界が...
いろいろと揉めた末、「母には申し訳ないけれども、施設に入ってもらおう」ときょうだいで話し合い決めたそうです。
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「自分の家があるのに、なんでそんなところに行かなきゃいけないの!」
母は激しく抵抗します...
それでも安藤さんは、姉と兄と自分の家のちょうど真ん中ぐらいにあるホームを探し、最初は「水道の工事をするから1週間だけ」と嘘をついて行ってもらったそうです。
安藤さんは言います。
「頭のいい人だから、子供たちの嘘は見抜いていたと思います。入所後も、訪問客に隠れて脱出をはかったり、泣いたり、わめいたり、怒鳴り散らしたりが続きました。」
「あなたたちをここまで一生懸命育ててきて、なんでこんな仕打ちをされなきゃいけないの」
母に泣かれて、きょうだいで泣いたそうです。
頑張って、どうにかしてでも一緒に住むようにしなければならないとも悩み考えた安藤さんですが
やはり現実的には心を鬼にして、
母親に我慢してもらう決意をしたそうです...
入所したときは歩くことが出来たし、「私は他の入所者とは違う!」という思いが強かった母...
安藤さんたちは考えます。
「施設に預けていても、私たち家族も積極的に介護に関わっていこう」と...
そう決めてからは
毎日誰かは顔を出すようにしました。
【大島渚監督の介護問題】
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65歳以上の高齢者は現在3000万人以上
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ますます進む高齢社会は、介護問題にもより深刻な状況を与え続けています。
介護は、24時間...365日の労働...
頑張り過ぎて、介護する側が身体を壊したり心を病んでしまうケースもあります。
女優の小山明子さん(77)もその一人。夫で映画監督の大島渚さん(80)の介護が原因でここ数年はうつ病に悩まされてきたといいます...
1996年、大島さんは脳出血で倒れ、右半身麻痺の状態となりました。
「私はそれまで女優一筋で、家事はお手伝いさんに任せきりだったので料理が全然作れませんでした。だから、カロリー計算した食事が必要だと言われても、献立も考えられない。頑張らなければと思えば思うほど追い詰められていったんです」
すぐに小山さんはうつ病になってしまい神経精神科に入院することになりました。
入退院を繰り返し、一時は”自殺”まで考えましたが。。。
「息子たちが毎日面会に訪れ、パパが『もう一度メガホンを』と必死でリハビリをしていることや、自分よりも私の状態を心配していることを教えてくれました。家族の支えで、私自身もうつ病であることに正面から向き合えたんです」
その後小山さんはうつ病を克服し、大島さんも奇跡的な回復を遂げ、監督業に復帰しました。
しかし2001年...
大島さんは今度は十二指腸潰瘍穿孔を患い、長引く入院生活のため歩行が困難に!
退院後の在宅療養では、24時間の付き添う生活に...
要介護5の認定を受け、排泄の世話も必要になった大島氏さんは「もう死にたい」とさえ漏らしています...